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2012 診療所
都内にあるセラピースタジオのインテリアです。肩、腰、膝、手の病、痛みを解きほぐすセラピー、マッサージにより快適な体にするセラピー・ゾーイの診療所受付カウンター(右側)診療室(左)
2010 専用住宅
以前ここに素晴らしい民家が建っており、保存も含めお考えになられたのですが、民家に使われていた梁材、軒げた、組子障子などを生かした新築をご希望されました。RCと木造の混構造の住宅です。大きな中庭二つは一つに樹が植わり、一つは室内の延長としてタイル張りとなっています。
2008 プロジェクト
このプロジェクトはタスマニア蕎麦で著名なSさんからの依頼で行ったボランティアの基本設計・エスキースです。川の畔の自然豊かな土地にそめい吉野の苗を日本から運び、あたり一帯を桜の名所にしようという計画です。その中心にこのやぐら(あずまや)を建設し、やぐらに和太鼓を設置しオーストラリアの人たちと一緒に盆踊りを踊ろうという計画案です。
2005 産婦人科医院のゲストハウス
たまプラーザの入院お産のできる産婦人科医院です。H先生の発案でクリニックの隣に妊婦さんの体操やお産についての教室が開くことのできる多目的なスペースの設計をしました。NHKのTVにも取り上げられました。以前、住宅だった建物の1階部分すべて、柱と壁を残し、新装リニューアルしたゲストルームです。漆喰と木タイルを基調とし、間接照明を多用しています。
2004 内科、消化器科医院
S先生は田園都市線、溝の口で内科、消化器科を開業されています。建物の老朽化に伴い内部をすべて解体し、建築工事のみならず、給排水衛生設備工事、電気工事も含み改修・改装工事を行いました。医院建築のリニューアルはたまプラーザのSクリニックと共に多くの患者さんに好評を頂きました。
2003 マンション
お施主さんは都心にわずかの土地をお持ちになられており、相談を受けました。1階に2所帯のワンルーム、2、3階はメゾネットの2所帯、計4所帯のレジデンスです。工事中にすべて予約が入り竣工時にはいっぱいになりました。
2003 ビルの中の住宅
築30年のビルの1階と2階を柱、外壁のみを残し、解体工事を行い、内部を新築状態に改修工事を行いました。和風がお好みということで、玄関に小さなスペースをとり、外玄関と内玄関があり、玄関ロビーにはカウンターのBARコーナーがあります。息子さんが銀座の著名なクラブでバーテンダーとして活躍されており、建築主のお父さんから、息子さんへのプレゼントがこのBARコーナーなのです。
2001 ウェディングコンサルタントオフィス
南青山にオープンしたウェディングコンサルタントのオフィスです。社長のKさんのアドバイスを受け、ステキな結婚のお相手にめぐり合うことができ、今もこのオフィスから数多くの幸せなカップルが誕生しています。
2000 専用住宅
Tさんは「ご自分の住まいは別荘風の設計が良い」とのご注文でした。畳にして25帖くらいの広いベランダからは天城山が見え、リビング天井からは夜、星がみえます。このお住まいはすべて平屋で設計しました。
1994 専用住宅
オーナーは著名なTV局のプロデューサー。二階に庭に面した広いベランダがある。
1993 公共建築・地下道出口
西新宿の地下道、新宿タイムズ・アヴェニューの出口E-1からE-4までの設計を担当しました。東京都庁の真下にあるE-1とE-2は、伏見のお稲荷さんをコンセプトに、ヒルトンホテルの前にあるE-3とE-4は、両手で子供や親しい人を抱きしめる手のひらのアールをコンセプトにしました。超高層建築群の中でこの地下道出口が一番ちいさな建築です。E-3の裏に見える三角形の建築二つは吸気と排気のベンチレーションで、ローマのピラミデを東京にも建てようと思い、デザインしたものです。
1993 レコーディングスタジオ
目黒の青葉台は地の利がよく、TVや映画の音声や人気歌手たちのCDの多くがこのスタジオでレコーディングされています。地下二階分が吹抜け空間となったスタジオには星の見える吹抜け庭園があり、樹が植わっています。アール状の外階段の周りには各階、植栽があり、打ち放しコンクリートが緑におおわれたオフィスビルです。
1992 別荘
東京のあるホテルのオーナーSさんは、毎年、夏になると渋谷の松濤町からこの軽井沢に引越し、約一ヶ月半を過ごします。ベランダと広い庭の間の幅30cmの側溝にはビー玉がいっぱい入っており、下からのライトで夜は天の川が地上に出現します。今回はお施主さんの希望もあり模型写真です。
1990 別荘
著名な人気作家Mさんの仕事場をかねたセカンドハウスです。リビングは大きく吹き抜けとなっており、吹き抜け上部のステンドグラスからシックイの壁に光が入ってきます。大人20人は入れる広い浴室から、富士山が真正面に見えるように設計しました。サウナも併用されています。
1988 声楽家の家
お施主さんは大学教授、クラシック、声楽の世界の重鎮です。リビング兼レッスンルームは吹き抜けており、2階にある左右の廊下と空が見え、夏の暑い日はトップライトの上にザァーッと水が流れる散水設備が付いています。1階の大きな引き戸を開けると一瞬にコンサートホールに変わります。このレッスンルームからは数多くの現在活躍している声楽家が誕生しました。
1988 クラブ バー
残念ながら今はありませんが、Zはモダンジャズを聞かせる隠れた人気のあるクラブでした。天井は黒一色に鉄筋が網の目に張り渡され、壁はレンガの漆喰塗りふき取り、床はじゅうたん敷きのインテリアでした。
1987 別荘
伊豆高原の別荘です。その名の通り、今まさに大島に向かって鳥が羽ばたくというイメージから設計をしました。築20年を超えましたが、健在です。
1986 building
四兄弟の家族が2Fから5Fまでそれぞれワンフロアーに住まわれている親族専用のマンションである。敷地は南北に長いため、極力どの部屋も南の陽が入るように雁行型に設計した。
1985 フォトスタジオ
目黒通りのダイエーの裏、碑文谷にあるため、よく教会と間違えられます。この建物のコンセプトは、お祈りの時に両手を合わせようと中指と中指がさわった瞬間を重心の低いシンメトリーの姿で表そうとしたからでしょう。屋根の上の風見鶏はピーターパンをスケッチして鋳物で制作したオリジナルです。現在はギャラリーになっているため時々TVにでてきます。
1982 鵠沼海岸の家
300坪の広い敷地に建っている。海に近く、別荘を設計するような感じで建築現場に通ったのがなつかしい。
1982 housing
1980 西ヶ原の家
広い敷地にアパート、旧ご両親のお住まいがたっている。当時、厨房まで設計する住居はあまりなかった。すべて家具工事として、設計デザインをした。
1978 音大生のアパート
大学建築学科建築史の教授が好きな東京の住宅密集地帯で有名な三田一丁目にある。音大に通う生徒のための一階、二階、二所帯の防音付きアパートである。今は地下鉄大江戸線が通り、麻布十番駅まで徒歩5分の近さ。
1974 building
東京で一番小さなビルと言われた半地下、4階建てのBARです。敷地が約3m×7m、ワンフロアが約9㎡、各階、畳にすると五枚分の広さ。オーナーチェンジしましたが、36年前の姿で今も健在です。
1968 基本設計
早稲田大学建築学科の尾島教授の研究室で富山のKNBテレビの基本設計をやることとなり、そのチーフをつとめた時の模型写真。大学を卒業して2~3年の頃。